“十太夫の森”の消滅を嘆く
「東葛人的道楽」の8月16日のエントリーにコメントさせて頂いたところ、東葛人さんから「
野馬土手も一部を除いて無残なことになりました」とのレスがありました。「え!野馬土手!!」
ピクンと反応。そして昨夜(本日付け)アップされた鎌ヶ谷市の「
初富の捕込(とっこめ)」を
訪問されたとのエントリー。「おぉ!
行っちゃいましたか!!」。....また野馬土手巡りに
火がついてしまいました。
今日の相棒はMTBです。
十太夫の野馬土手は「野馬土手は泣いている」の著者、青木更吉さんが選ぶ「小金牧・野馬土手ベスト10」で第7位にあげられています。なんでも、ビッグバード南側にある交差点を頂点にして豊四季霊園にまで続く
「へ」の字型の野馬土手なのだそうです。実は本を読んだ当時、「十太夫って京都の舞子さんの名前のような地名ってどこよ?」と場所が特定できませんでした。それもそのはず、本に掲載されていた地図にはつくばエクスプレス(TX)がありません。取材当時は無かったので当然でしょう。やっと場所が分かりました。え?でも「へ」の字をつんざくようにTXが走ってます....。


まず訪れたのは豊四季霊園の西側を沿って走る道沿いにある野馬土手です。なんとここは野馬土手に沿って堀が残っているじゃないですか!このパターンの野馬土手は初めて見たので感激です。さすが第7位にあげられることはあります。と感動に浸っていたのもつかの間、霊園の北端まで来ると、野馬土手もそこで終わり。そこには削り取られた跡が....そして目の前にはTXの高架橋。ここに野馬土手があったはずなのに、今はもう在りし日の姿を偲べるものはありません。これですね、東葛人さんがおっしゃっていた「無残」とは....。「読んで字のごとく」とはまさにこのことです。


一方、ビッグバードの南の道沿いの野馬土手はその姿をとどめており、掘があり木に覆われた野馬土手が続いています。ここのいいところは、車が来たら堀に転がり落ちてしまうかも知れないのですが、堀にガードレールすらないところです(笑)。おかげで掘をじっくりと観察させてもらえました。でも、ここもおおたかの森駅に近いためいつ開発の手が忍び寄り「無残」なものになってしまうかも知れません。実際、すぐ近くのレストランあかげらの北側の森は区画整理のためか伐採されて姿を消してしまいました。「野馬土手は泣いている」ならぬ「野馬土手は怯えている」かのように思えました。


次に向かったのは上新宿です。「野馬土手は...」の地図をみたときは東葛ポタの際に通った道かなと思ったので、同じ道をウロチョロしていました。(東葛ポタの記憶と辿っても、土手らしきものを見かけた記憶がありませんでしたので、おっかしいなぁとは思ったのですが。)そこでまた常磐道沿いの道に引き返して別の道を入ってみました。するとそこに野馬土手発見です。東葛ポタで上新宿に入った道より100m程手前、
こんぴら緑地のところを曲がればよかったのです。(地名としては上新宿新田になるようです。)実はここも「野馬土手ベスト10」の第9位にランクされている野馬土手です。
上の左の写真に写る野馬土手は一部崩されていますが、この奥に民家があります。その出入り口として切り崩されたようです。野馬土手が生活の一部にとけ込んでおり、野馬土手に対する愛情を感じるので、こういう切り崩しなら僕的にはOKで「無残」とは感じません。それにしても立派な野馬土手です。野馬土手は500m程続いているでしょうか、常磐道から奥に進むにつれどんどん土手の高さが増して行きます。それに、野馬土手に生える剥き出し木の根が、その迫力を更に増していきます。(スミマセン、写真ピンボケです(涙)。)今日の「楽しかったですっ!」写真もここで撮影しました。自転車と比較してのその高さと迫力をご確認ください。

その後、江戸川CRを南下し、平和台から柏方面に向かいました。途中、南柏の野馬土手から延びる
卍を線対称にしたような変則十字路の野馬土手を通りました。キレイに草が刈り取られて、直角に曲がったその様。どこかで見たことがあります。「そうだ!
田中調節池の土手の南端から見た風景にそっくりだ!」規模と目的、そして作られた時代は違えども同じ"土手"。面白い共通点ですね。って無理矢理過ぎですね(爆)。
それにしても、この週末ポタは考えさせられることが多かったです。土曜日は利根運河の森の消滅をあらためて目の当たりにしました。そして今日は十太夫の野馬土手の無残な姿を目にしました。開発に伴ってこのような事があちこちで起きる事でしょう。なんとか最小限に食い止めて欲しいものです。
今日も、楽しかったですっ!でも、ちょっと考えさせられました。
[撮影場所:
上新宿の野馬土手前]
↓拡大できます。

さて、ここでお知らせです。
流山市立博物館では9月22日(土)から毎週土曜日、4回に渡って
「ふるさと入門講座 流山今は昔コース」と題した講座が予定されています。場所は中央図書館会議室です。(見たまんま書いていますが、僕、場所が全然分かりません(苦笑)。)講座の内容は「江戸時代、市域東部に広がっていた小金牧と野馬土手について」だそうです。講師は何と
「野馬土手は泣いている」の著者、青木更吉さんです。しかも費用は4回分の資料代のわずか
200円ときたもんだ!!今のご時世でツーコインですよっ!
イヨッ!流山市、太っ腹!!# でも、土曜日のこの時間だと、僕は野暮用があるので間に合いません...。
posted by IKAWA at 22:46|
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十太夫の野馬土手ですが、豊四季霊園の西側はまだ健在だったのですね。
あれだけ派手に工事をしていたのと、霊園の移転がどうのこうのという話があったので、詳しく調べずに消滅したかとばかり思っていました。
ちょっと情報のミスリードですね、すみません。
でも、「無残」であることは変わりませんが・・・。
上新宿の野馬土手は、私も見てきました。
大畔もそうですが、あの土手を見ると、江戸時代この地域の村の在り様が偲ばれますね。
ところで、流山市立博物館の情報は素晴しいです。
ありがとうございます。
私は絶対に行きます。
ただ、忘れないように予約しないといけないですね。
本文ではさらっと書きましたけど、豊四季霊園の西側の土手を探すの
に結構ウロチョロしました。イメージしていた地図と実際とが余りに
も異なっていたからです。消滅してしまったと思われても不思議では
ないです。
おお、流山市立博物館の講座に興味を持たれましたか!僕も行きたい
のですが、自転車に乗り始める前から続けていることが午前中にあっ
て、それが終わるのが12時。食事をしたら間に合いません。食事抜き
というのはかなりキツイです。ということで断念です。もし参加され
たら資料をコピーさせてください(笑)。(←試験前の大学生か?)
てへ^^;実は19日の(日)に一足お先に博物館に行ってきました。
残念ながら「庚申塔を調査し隊」による庚申塔のスライド解説をしている頃は、沼南の梨園にいたので(笑)間に合いませんでしたが...
それでも、庚申塔の企画展を見るだけでも楽しいですよ♪
それにしても、kashiwanさんの梨の話題といいIKAWAの市立博物館の話題といい、まるで行動や思考が一緒なのには驚きました(笑)
PS.博物館は市役所の向かい側ですが、入り口は反対側、流山街道文化会館入り口のサイゼリアの手前の細い道からです。
庚申塔の講座に行かれていたのですか。庚申塔といえば、たす
けさんのブログで話題にされていた梨園がある柏印西線沿いの
手賀東小学校入り口のところに百庚申がありますね。最初、お
墓かと思ったのですが(笑)、よく見ると違ったのでなんだろう
と知らべてみると庚申塔でした。実はそれまで庚申塔なんて知
らなかったのですが、それ以降神社や道ばたにある庚申塔も気
になっています。
博物館の場所のご説明ありがとうございます。でも、流山市役
所がドコかが分かりません(爆)。いつも市街地を避けて、平和
台から江戸川CRにのってしまうもので(苦笑)。ちゃんと調べて
おきますね。
すね。失礼しました。
ご掲載の上新宿新田の野馬土手...5年前まで西初石1丁目
に住んでいた私にとってそこがまさに生活道路でした。
当時の住まいは三方を森で囲まれいたのですがここ数年で
野馬土手の反対側の西初石の森も宅地に変わり、すっかり
昼なお暗い奥の細道が、日差しの入る明るい道になりました。
昔、同僚に初めて車で自宅に送ってもらった時
こんぴら公園の脇からこの細道に誘導したら...
「えっ?こんな道を車で通るのか?この奥はどんだけ田舎なんだ?」と驚愕していました(笑)
西初石といえば、上新宿の野馬土手の坂を下りきったあたりが
確かそんな住所表示でした。たすけさんはあの近くにお住まい
だったのですね。野馬土手の反対側は宅地開発される前はきっ
と森が続いていたんだろうなと考えながら走っていました。で
も、宅地開発されたとはいえ、野馬土手が今だに残っているの
は嬉しいではないですか。これからもあの姿のまま残っていて
欲しいですね。